都電荒川線"ぶらり"紀行 Sightseeing Toden Arakawasen Tokyo Japan

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都電荒川線の系統情報★
参考資料:板橋史座談会「都電荒川線沿線の史跡を訪ねる」担当:吉田隆光
都電荒川線沿線の歴史ゆかりの名所をご紹介!

たまに乗るなら・都電荒川線! 昔の都電路線図 最後に残った[都電]都電荒川線

都電荒川線「歴史散策紹介」第一回 第二回 第三回 第四回 都電の歴史

都電荒川線沿線の史跡を訪ねる(第一回)板橋史談会

(1)目白不動・新長谷寺跡 文京区関口2−5辺り
  *真言宗豊山派東豊山浄滝院新長谷寺*元和四年(1618)大和長谷寺の住職能化秀算僧正が再興し、三代将軍家光が鷹狩りの途中に「不動明王」を拝して「目白」の称号を与えた。それから「目白不動」この辺りを「目白」と呼ぶようになったという。*五色不動(目白、目赤・文京区本駒込南谷寺、目黒・下目黒滝泉寺、目青・世田谷教学院、目黄・渋谷竜巌寺)の1つとして有名であった。*寺門の傍に鐘楼があり、昼夜、時を報じた「目白の鐘」と称される「時の鐘」があった。*戦災で廃寺となり不動尊と門前の不動石像は豊島区の金乗院(高田2−12−39)に移されている。
(2)関口大洗堰跡 文京区関口2−27−−28 大滝橋付近
  *徳川家康の江戸入り(天正18年1590年)直後、井の頭池からの流れに善福寺池・妙正寺の流れを落合であわせ目白台下の関口で水を取り入れたのが「神田上水」である。工事を行ったのは大久保主水(もんと)といわれている。*大滝橋付近に堰(大洗堰)を設けて水位を下げ上水路で水を流して水戸屋敷(現後楽園一帯)に入れ、それから木の樋や石の樋で地下を通した。神田橋門外で2筋に分かれた。1つは本町方面、日本橋で北の町屋に給水した。飲用水としての廃止は明治34年(1902)その後は砲兵工場の用水に利用されていたが、その移転により昭和8年(1933)大洗堰は廃止された。*大洗堰の上流辺りから外壕までを江戸川と呼んでいたが昭和40年(1965)河川法の改正で水源から一貫して神田川となった。
(3)関口芭蕉庵 文京区関口2−11−3
  *松尾甚七郎宗房(芭蕉)は延宝元年(1673)30歳で伊賀上野から江戸に出て延宝5年(1677)から3年間ここに住んだ。当時、旧主筋の藤堂家が神田上水改修の工事をしていた。芭蕉はそれに参加して工事現場か水番屋に住んでいたともいわれる。ここから日本橋、深川へ移ったという。*後、芭蕉を慕う人たちによって建てられた家を「竜隠庵」と呼んだ。これが「関口芭蕉庵」である。その後、戦災で焼失し現在の建物は戦後のものである。敷地内に句碑や歌碑がある。
(4)水神社 文京区目白台1−1−9
  *駒塚橋のたもとにある。神田上水の守護神といわれている。*伝えによれば、水神が八幡宮宮司の夢枕に立って「我水伯(水神)なり、我をこの地に祀らば堰の守護神となり村民をはじめ江戸町ことごとく安泰なり」と告げたのでここに水神を祀ったという。

(5)水稲荷神社 新宿区西早稲田3−5
  もとは宝泉寺(戸塚町)脇にあり「戸塚稲荷」と呼ばれていた。太田道灌が山吹の里で狩りを行いここで休憩した。その際に植えたのが「道灌つかみさしの榎」この榎の空洞から元禄10年(1697)突然水が沸き出した。その水は霊水とされ「水稲荷」の名前がつけられた。榎は戦災で焼失して今はない。堀部武庸加功遺蹟の碑がある。
(6)甘泉園 新宿区西早稲田3−5
  江戸時代中期の御三卿の1つ清水家の下屋敷にあった庭園。「甘泉」の名は湧き水が出る清水がお茶に適していたためで「山吹の井」の水を流した回遊式庭園。山吹の井には源頼朝が愛馬の足を冷やしたという伝説がある。
(7)面影橋 豊島区高田1−18
  神田上水工事が行われた承応年間(1652〜55)に架けられたという。昔、この辺りに住んでいた姫が美人であったため次々と災難に襲われた。そこで姫は大事な髪を切り変わり果てた姿を川面に映し出したという悲話がある。

(8)「山吹の里」の碑 豊島区高田1−18
  「山吹の里」と彫あっれた観音像の碑でこの供養塔の「山吹の里」という文字は後世にまえの文字を削って彫り直した形跡がある。
(9)南蔵院 豊島区高田1−19−16
  真言宗豊山派大鏡山南蔵院。山号は寺の前に「鏡が池」という大きな池があったからという。室町時代に円成比尼という僧が回国修行中、奥州平泉の農家で入手した薬師如来像が本尊である。この地を通りかかると像が重くなり草庵を建てて安置したのが寺のはじめという。境内に彰義隊士の「首塚」「山吹の里弁財天」と刻まれた供養塔があり墓地には力士の音羽山・雷・粂川・花籠・片男波・二子山・鯨井などの墓がある。
(10)金乗院 豊島区高田2−12−39
  真言宗豊山派霊山金乗院慈眼寺。開山は永順と伝えるが文禄3年(1594)に没しているので、それ以前に創建されたと推定される本尊は金銅聖観音である。目白不動を祀ってある。不動堂があり境内には多数の石造物がある。墓地には青柳文蔵・丸橋忠弥の墓がある。
(11)鬼子母神堂 豊島区雑司が谷3−15−20
 

永禄4年(1561)に村民が近くの土の中から掘り出した鬼子母神像を天正6年(1578)もとからあった稲荷神社に安置したのがはじまりと伝えられる。区内最古の建物で扁額の「鬼子母神」の「おに」は角のない字が使われている。境内には仁王像や一字一石妙経塔などの石造物、鬼子母神の地主神武芳稲荷大明神、子授け公孫樹などがある。駄菓子屋「川口屋」はむかしからここにあり東京で最古の駄菓子屋という。

(12)大鳥神社 豊島区雑司が谷3−20−14
  前身は鬼子母神境内にあった人鷺大明神の神仏分離で大鳥神社と社号を改めてこの地に移った。「酉の市」は慶応元年(1865)からはじまったと伝えられる。
(13)雑司が谷旧宣教師館 豊島区雑司が谷1−25−5
 

明治40年(1907)アメリカ人宣教師マッケーレブが自宅として建てた家で、都内でも貴重な洋風建築である。豊島区が管理公開している。1階にはマッケーレブの足跡を展示、2階に情報検索コーナーが設けられているほか竹を用いた天井、張り出し窓など珍しい建築意匠がみられる。

(14)都立雑司が谷霊園 豊島区南池袋4−25−1
  明治5年(1872)に種苗園とその周辺の畑地をあわせて約十万平方メートルの敷地に神葬墓地として開設され同7年(1874)に共葬墓地となった。墓地には文化人をはじめ有名人多数の墓がある。
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