| (1)正法院 |
豊島区西巣鴨4−8−1 |
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*天台宗慈雲山長栄寺正法院で天平2年(730)行基が創建したと伝えられ本尊の11面観音も行基の作とのことである。*上野山下より明治13年(1905)にこの地に移転して来た。*現本堂の裏にある旧本堂は輪王寺宮がご使用になっていた書院を下賜されたものである。*本堂右手に小祠がある。石器時代の遺物とみられる緑泥片岩の石棒が祀られている。用途は不明である。石根権現ともいわれており性器崇拝に関係があるとの説もある。*墓地に寿々木米若(藤田氏・浪曲家)の墓がある。 |
| (2)西方寺 |
豊島区西巣鴨4−8−13 |
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*元和8年(1622)土手の道哲と呼ばれていた僧が浅草聖天町の吉原土手辺りで遊女が無縁仏として葬られるのを悲しみ昼夜念仏を唱えていたが道蓮社正誉玄育上人を請じて一字を建立したのがはじまりという。大正15年(1926)この地に移ってきた。*三ノ輪の浄閑寺とともに投込寺と呼ばれ吉原の遊女達の縁も深く本堂裏手に万治高尾太夫の墓がある。地蔵像の右に「転誉妙身信女万治3年12月15日」左に「寒風にもろくくづるる紅葉哉」の辞世の句が刻まれている。左隣の高い石柱は供養塔で新吉原の楼主が明治25年(1892)に寄進したものである。*門柱上に「招き猫」がある(右手を上げている)吉原三浦屋の薄雲太夫の危機を救ったとされ太夫は猫塚を営み猫の菩提を弔ったといういわれによる。「招き猫」は破損したため今はない。*墓地には新内の岡本宮古太夫・狂歌師の俵船津・歌舞伎の尾上幸蔵などの墓がある。 |
| (3)盛雲寺 |
豊島区西巣鴨4−8−40 |
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*浄土宗三宝山盛雲寺で本尊は阿弥陀如来。元和5年(1619)下谷稲荷町に建立され大正元年(1912)現在地に移転。*新門辰五郎の墓がある。辰五郎は江戸末期の浅草の町火消で輪王寺宮が浅草寺に退隠した時、新しい通用門を儲けこれを守ったのでこの名がある。 |
| (4)妙行寺 |
豊島区西巣鴨4−8−28 |
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*法華宗長徳山妙行寺で、もと四谷鮫が橋南町にあったが明治42年(1902)現在地に移転。*参道右手の納骨堂前に正観音の鋳像がある。明治33年(1902)に東京うなぎ蒲焼き商組合、東京淡水魚組合が建立したうなぎ供養塔である。墓地には「四谷怪談」のお岩様、浅野匠頭長夫人高光院殿、内匠頭長矩夫人瑤泉院(供養塔)、浅野大学長広夫人蓮光院殿などの墓がある。また、常磐津の名人林中の墓もある。 |
| (5)善養寺 |
豊島区西巣鴨4−8−25 |
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*入り口に「えんま大王」と刻んだ碑が建っている。*天台宗薬王山善養寺で本尊は薬師如来。天長年間(824〜33)に慈覚大師によって創建されたという。承応2年(1653)寺地を上野山内に賜ったが後に坂本に移り明治45年(1912)に現在地に移転。*「えんま大王」は本堂に置かれており江戸の三大えんまのひとつ。*墓地には陶工・画家の尾形乾山の墓があり墓石には「放逸無慙八十一年一口呑却沙界大千」とあり「憂きこともうれしき折も過ぎぬればただあけ暮れの夢計なる」の歌が「雲海深省居士」の名とともに記されている。また町田氏(新門辰五郎の本姓)の墓があり辰五郎の分骨が納められているという。 |
| (6)白泉寺 |
豊島区西巣鴨5−32−5 |
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*曹洞宗宗龍淵山白泉寺で朝日観音を祀る。慶長16年(1611)浅草清島町に創建。明治44年(1911)当地に移る。*境内には江戸初期から後にわたる年代の石造物が多数ある。*墓地には下総多古の久松松平家の墓域がある。 |
| (7)總禅寺 |
豊島区巣鴨5−32−2 |
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*曹洞宗松龍山總禅寺。寛永元年(1624)日山宗春が湯島に創建、千駄木に移り、五代将軍綱吉から赤門を許されたので「赤門寺」ともいわれた。明治30年(1897)この地に移る。*墓地には手塚家の墓がありマンガ家の手塚治虫が眠っている。墓の横には碑があり代表的な作品の主人公が描かれている。ほかに幕末の西洋医学の中心人物大槻俊斎、初代三遊亭円歌などの墓もある。 |
| (8)本妙寺 |
豊島区巣鴨5−35−6 |
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*法華宗山本妙寺で、もとは本郷丸山町にあり明治44年(1911)にここに移転。明暦3年(1657)の大火の火元になった寺として知られている。*本堂東脇には「明暦の大火」の犠牲者を弔うために建立っした供養塔がある。*墓地には本因坊代々「遠山の金さん」の遠山左衛門尉景元、北辰一刀流千葉周作、将棋の天野宗歩、美術学校で彫刻を教えた竹内久一、老中職をつとめた久世大和守代々、宝暦の俳人百草園寸長、文化の俳人鵲歩牛、狂歌の出久廻坊画安、安永の書家篠田明浦、宝暦の医家であり本草学の大家丹羽正伯などの墓がある。 |
| (9)本妙寺 |
豊島区巣鴨5−35−26 |
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*日蓮宗の寺で元和元年(1615)深川六間掘に創建、後、本所猿江に移り大正元年(1912)に猿江から移転。*境内に浦里・時次郎の比翼塚がある。時次郎のモデルは浅草蔵前の若旦那伊之助、浦里は新吉原の遊女三芳野だといわれている。*墓地は山門前の道をはさんだ反対側にあり、ここに谷崎家の墓があって潤一郎の分骨を納めた墓がある。同じ墓域に早大の文学部長をつとめた弟の精二の墓もある。ほかに、吉良方の勇士小林八郎(忠臣蔵は平七郎)、洋画・銅板画の祖司馬江漢「武蔵野活」の著者斎藤鶴磯、小説家芥川龍之介などの墓もある。 |
| (10)染井霊園 |
豊島区駒込5−5−1 |
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明治7年(1874)に開かれた都立の霊園で広さは67000平方メートルもあり、もと播州林田藩建部家の屋敷であった所である。*宮武外骨(ジャーナリスト)、岡倉天心(美術評論家)、二葉亭四迷(小説家)、高村光雲(彫刻家)・光太郎(詩人)・智恵子、若槻礼次郎(政治家)などの墓がある。 |