| (3)地蔵堂 |
荒川区西尾久6−32 |
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*堂内に寛永20年(1643)銘の地蔵があり、これが本尊である。*寛永9年(1669)宝永2年(1705)銘の文字刻日待庚申塔、宝永7年(1710)享保6年(1721)銘の庚申塔があり、いずれも上尾久村の講中が建立したものである。 |
| (4)赤レンガ掘 |
荒川区西尾久6−34〜6−20 |
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*明治の初めに創建されたレンガ工場跡地に残るレンガ掘である。*戦争中は、ここに高射砲陣地が設営されたという。 |
| (5)宝蔵院 |
荒川区西尾久3−16−19 |
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*真言宗金亀山宝蔵院地正寺。本尊は虚空菩薩。寛永10年(1633)に没した斎賢が開山。*墓地には上尾久村名主戸田利右衛門一族の墓、斎賢を供養する寛永10年(1633)銘の宝篋印塔や一石で造られた一石輪塔などがある。 |
| (6)地蔵尊 |
荒川区西尾3−10−6 |
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*真言宗霊雲寺派金光山宝珠院地蔵尊寺。宝暦(1751)文了智範が地蔵堂を建て盗作除けの「北向地蔵」として知られている。本尊は聖徳太子作と伝わる地菩薩で子育地蔵尊として信仰されている。脇仏は源信作という阿弥陀如来立像。*地蔵山墓地(西尾久2−15)から出土した文明15年(1483)の板碑があり区内で唯一の阿弥陀三尊来迎図像板碑である。
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| (7)大林院 |
荒川区西尾久3−9−5 |
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*曹洞宗霊明山大林寺と号す尼僧寺。尾久八幡神社の別当真言宗願勝寺が廃寺になった後、港区三田から移転してきた。*庭に正和5年(1316)銘の板碑がある。*境内にも正徳3年(1713)・享保7年(1722)の庚申塔や江戸期の石仏・五輪塔があり願勝寺時代のものであろうと思われる。 |
| (8)尾久八幡神社 |
荒川区西尾久3−7−3 |
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*創建は不詳であるが上尾久・下尾久・船方村の鎮守で至徳2年(1385)の棟札があるので、これ以前に創建されていたのであろうと思われる。他に明徳4年(1393)応永8年(1411)永保5年(1432)文明12年(1840)寛永15年(1638)万治3年(1660)元禄4年(1691)寛永5年(1852)のものが残されている。*別当寺であった願勝寺の名を刻んだ手水石がある。享保14年(1729)に上尾久村若者中と願勝寺寛栄によって奉納された。*「上尾久村村絵図」が保存されている。それには用水の流路と7名の旗本の領主名と各領付農民、社寺が記されている。 |
| (9)碩運寺 |
荒川区西尾久2−25−21 |
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*駒込大円寺五世附山栄伝が、慶長元年(1596)本所石原町に創建し安政の大地震で焼失し明治43年(1910)当地に移転。*曹洞宗鎮護山碩運寺。本尊は聖観音世音菩薩。*大正3年(1914)井戸を掘ったところ多量のラジウム・エマチオンを含んだ温泉が沸き出した。「寺の湯」として開業し、のちに「不老閣」として独立した。これがもとでラジウム温泉旅館が誕生した。その後、旅館・料理屋・芸妓屋が軒を並べ「尾久三業地」へと発展した。*待合「まさき」で昭和11年(1936)5月18日未明「阿部定事件」が起きた。 |