都電荒川線"ぶらり"紀行 Sightseeing Toden Arakawasen Tokyo Japan

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都電荒川線の系統情報★
参考資料:板橋史座談会「都電荒川線沿線の史跡を訪ねる」担当:吉田隆光
都電荒川線沿線の歴史ゆかりの名所をご紹介!

たまに乗るなら・都電荒川線! 昔の都電路線図 最後に残った[都電]都電荒川線

都電荒川線「歴史散策紹介」第一回 第二回 第三回 第四回 都電の歴史

都電荒川線沿線の史跡を訪ねる(第三回)板橋史談会

(1)白山神社 北区掘船3−11−3
  *祭神は伊邪岐尊。徳川八代将軍吉宗の頃(享保元年〜延享2年)の北町奉行所の記録に「当地白山権現年数不知・・右福性寺懸持」とあるとされており、福性寺が別当であった。*麦藁を束ねたものに五色の幣を挿し裸でかついで水をかけ、その幣を魔除けとして氏子の庇に挿した「ぼんせん祭」が明治10年ごろに盛んだったという。
(2)福性寺 北区掘船3−10−16
  *真言宗宝山派白王山中台福性寺。本尊は大日如来。*創建年代は不詳だが暦応2年(北朝年号1339)の板碑がある。*本堂前に「地名発祥 梶原塚」と記した石柱がある。その背後に文政9年(1826)銘の地蔵と如意輪観音石仏の二基がある。この石仏には梶原景時一族を弔うと記されているが景時は誤りである。梶原塚は太田道灌の子孫で名将と謳われた太田三楽斎資正の子梶原正景の墓といわれている。*梶原塚石柱の前にある庚申塔には三つの顔と8本の手を持った青面金剛像が陽刻されている。建立銘に巣鴨村の名がある。

(3)地蔵堂 荒川区西尾久6−32
  *堂内に寛永20年(1643)銘の地蔵があり、これが本尊である。*寛永9年(1669)宝永2年(1705)銘の文字刻日待庚申塔、宝永7年(1710)享保6年(1721)銘の庚申塔があり、いずれも上尾久村の講中が建立したものである。
(4)赤レンガ掘 荒川区西尾久6−34〜6−20
  *明治の初めに創建されたレンガ工場跡地に残るレンガ掘である。*戦争中は、ここに高射砲陣地が設営されたという。
(5)宝蔵院 荒川区西尾久3−16−19
  *真言宗金亀山宝蔵院地正寺。本尊は虚空菩薩。寛永10年(1633)に没した斎賢が開山。*墓地には上尾久村名主戸田利右衛門一族の墓、斎賢を供養する寛永10年(1633)銘の宝篋印塔や一石で造られた一石輪塔などがある。
(6)地蔵尊 荒川区西尾3−10−6
 

*真言宗霊雲寺派金光山宝珠院地蔵尊寺。宝暦(1751)文了智範が地蔵堂を建て盗作除けの「北向地蔵」として知られている。本尊は聖徳太子作と伝わる地菩薩で子育地蔵尊として信仰されている。脇仏は源信作という阿弥陀如来立像。*地蔵山墓地(西尾久2−15)から出土した文明15年(1483)の板碑があり区内で唯一の阿弥陀三尊来迎図像板碑である。

(7)大林院 荒川区西尾久3−9−5
  *曹洞宗霊明山大林寺と号す尼僧寺。尾久八幡神社の別当真言宗願勝寺が廃寺になった後、港区三田から移転してきた。*庭に正和5年(1316)銘の板碑がある。*境内にも正徳3年(1713)・享保7年(1722)の庚申塔や江戸期の石仏・五輪塔があり願勝寺時代のものであろうと思われる。
(8)尾久八幡神社 荒川区西尾久3−7−3
  *創建は不詳であるが上尾久・下尾久・船方村の鎮守で至徳2年(1385)の棟札があるので、これ以前に創建されていたのであろうと思われる。他に明徳4年(1393)応永8年(1411)永保5年(1432)文明12年(1840)寛永15年(1638)万治3年(1660)元禄4年(1691)寛永5年(1852)のものが残されている。*別当寺であった願勝寺の名を刻んだ手水石がある。享保14年(1729)に上尾久村若者中と願勝寺寛栄によって奉納された。*「上尾久村村絵図」が保存されている。それには用水の流路と7名の旗本の領主名と各領付農民、社寺が記されている。
(9)碩運寺 荒川区西尾久2−25−21
  *駒込大円寺五世附山栄伝が、慶長元年(1596)本所石原町に創建し安政の大地震で焼失し明治43年(1910)当地に移転。*曹洞宗鎮護山碩運寺。本尊は聖観音世音菩薩。*大正3年(1914)井戸を掘ったところ多量のラジウム・エマチオンを含んだ温泉が沸き出した。「寺の湯」として開業し、のちに「不老閣」として独立した。これがもとでラジウム温泉旅館が誕生した。その後、旅館・料理屋・芸妓屋が軒を並べ「尾久三業地」へと発展した。*待合「まさき」で昭和11年(1936)5月18日未明「阿部定事件」が起きた。

(10)下尾久石尊 荒川区東尾久6−31
  *暦応年間(1338〜42)の頃、異形な石二つが地上に二尺ほど現れた。この石は大慈大悲の垂迹であると一樹を植え注連縄を張って勧請した。堂内に自然石が二個安置されている。
(11)慈眼寺 荒川区町屋2−20−12
  *慶長三年(1598)の創建と伝え江戸時代は現町屋第二児童公園にあった。医王山普門院慈眼寺と号する真言宗豊山派の寺である。*本尊の薬師瑠璃光如来は眼病や産婦の乳の出がよくなるなどの霊験があるといわれ特に女性の信仰を集めていた。天保12年(1844)には町屋秩父請女中連の額が奉納されている。*境内には寛文3年(1663)の石造如意輪観音像をはじめ多数の江戸期の石仏がある。
(12)原稲荷神社 荒川区町屋2−8−7
  *伝えでは徳川家康が江戸入府の際、三河の農民をこの地に住まわせ創建したという。明治13年(1880)に慈眼寺持の柊せん稲荷とこの稲荷が合併し原稲荷神社となり町屋稲荷ともよばれている。*社殿右脇に阿弥陀三尊を線刻した正保4年(1647)銘の庚申塔があり四組の夫婦の名が刻まれている。
(13)泊船軒 荒川区荒川7−17−2
 

*臨済宗妙心寺派大雄山泊船軒。*寛永4年(1627)に湯島妻恋の地に本寺海禅寺の開山覚印周嘉の法嗣玉峰を開祖として創建、明暦の大火後浅草松が谷に移転、関東大震災後当地に移転してきた。*本堂の天井には小松翠雲の「雲龍図」があり内陣の格天井には当時の画家百人による「花鳥風月図」がある。*境内の一画に太田道灌の故事にちなむ「山吹の塚」がある。

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